- ヨーロッパの小さな島国であるアイルランドですが、そんなアイルランドから世界的に有名な作家がたくさん輩出されていることをご存じでしょうか?イングランドの一部であったためイギリス文学の影響も受けているものの、ケルト文化の影響が強く神話的であるということがアイルランド文学の特徴。そんなアイルランド文学を生み出した有名な作家たちについて知ってみましょう!
ウィリアム・バトラー・イェイツ(William Butler Yeats)
1865年に現在のアイルランド・ダブリンに生まれたイェイツは、父も母もアイルランド生まれのアイルランド人。ですがイギリスからの植民者の子孫であり少数派のプロテスタントで、彼のような英国系アイルランド人は自分たちをイギリス人だと考えることも多かったものの、イェイツはアイルランド人としてのアイデンティティを大切にしナショナリストとしての一面も持ちます。
このアイルランドへの愛国心や、母の故郷であるスライゴーでの経験が彼の作品に影響を与え、詩人や劇作家として活躍し、1923年にアイルランド人として初のノーベル文学賞を受賞しています。
彼は日本の能からも影響を受け、日本では「鷹の井戸」や「イニスフリー湖の島」が有名ですが、アメリカでの講演時に出会った日本人から譲り受けた日本刀は彼の遺品として遺されているそうです。
代表的な作品
- 『鷹の井戸』(原題:At the Hawk’s Well)
- 『イニスフリー湖の島』(原題:The Lake Isle of Innisfree)
ジョージ・バーナード・ショー(George Bernard Shaw)
1856年に現在のアイルランド・ダブリンに生まれた文学者。スコットランド貴族の子孫で、17世紀にアイルランドに渡ってきたピューリタン一族の家系です。家は貧しかったものの、芸術の才能が高かった母親の影響を受け演劇や絵画への興味を持ち始めます。受けた教育はほとんど小学校レベルだったそうですが、独学で学び20歳のときに移り住んだロンドンで美術館や博物館に通い、知識を深めたと言われています。
文学者としてだけでなく、政治家や脚本家としても幅広く活躍しましたが、特に文学者と教育家として有名です。ベジタリアンで健康的な生活を送っていたこともあり、94歳まで長生きしました。
その後イギリス近代劇の人気が高まっていた中で「やもめの家」で劇作家としてデビュー。同時期に小説も書いていたものの小説家としては売れませんでしたが、社会主義者として雑誌の連載などでは評価を受けていたそうです。
1900年頃からは数多くの戯曲を提供し、1910年代にウエスト・エンドで成功を収めました。アイルランド人としては2番目のノーベル文学賞受賞者で、1925年に受賞しています。当初は受賞を拒んだショーも、賞金を寄付するということで受けたということです。
代表的な作品
- 『ピグマリオン』(原題:Pygmalion) ※有名ミュージカル「マイ・フェア・レディ」の原作として知られる
- 『聖女ジョウン』(原題:Saint Joan)
- 『やもめの家』(原題:Widowers’ Houses)
オスカー・ワイルド(Oscar Wilde)
1900年に現在のアイルランド・ダブリンに生まれた詩人で、現在でもアイルランドでよく名前を聞く文学者です。日本語で得られる情報も多く、数多くの名言を残しました。祖父も父も医者、母は詩人という家庭に生まれ、幼少期は女の子が欲しかった母親によって女の子のドレスを着せられていたと言われています。46年という短い生涯ではありましたが、日本を含め世界中の多くの作家に影響を与えた作家です。
オスカーは1871年、北アイルランドの王立学校で優秀な成績を修め、奨学金を得てトリニティカレッジに入学しました。その後はオクスフォード大学に進学し、首席で卒業します。執筆活動はこの頃からしておりましたが、オクスフォードで貴族の家庭に育った学生と出会ったオスカーは母からの十分な仕送りでは足らず借金までしていたそう。ちなみにオスカーはそのファッションセンスと人とは異なる発言をする話術で大学生のうちからイギリスでは有名になっていました。
大学卒業後にアメリカに渡ったオスカーは、1年間の間に何十もの講演を重ねそこで収入を得てパリに向かいます。一風変わった雰囲気を持ったオスカーはなかなかパリでは受け入れられなかったものの、そのときに結婚して子供を授かったことで家での執筆活動が捗り仕事も軌道に乗ったそう。
ですが、同性愛者であったオスカーはその後15歳以上も年下のアルフレッド・ダグラス卿と知り合い、ダグラスとの交際が原因で男色罪で有罪判決を受け、出所はしたものの最後はパリで息を引き取ったということです。日本ではオスカーの作品は芥川龍之介や森鴎外、夏目漱石らに大きな影響を与えたと言われています。
代表的な作品
- 『ドリアン・グレイの肖像』(原題:The Picture of Dorian Gray)
- 『サロメ』(原題:Salomé)
- 『真面目が肝心』(原題:The Importance being Earnest)
ジェイムズ・ジョイス(James Joyce)
1882年、ダブリン南のラスガーという地域に10人兄弟の長男として生まれます。父親のジョンはコーク出身で製造業の仕事をしていましたが、1887年にダブリン市役所の徴税人に任命されたことからダブリン近くのブレイに引っ越し。
ジョイスは1898年、UCD(ユニバーシティ・カレッジ・ダブリン)に入学します。フランス語やイタリア語の言語を学びながら文学サークルにも所属し、その頃から才能を発揮していたと言われており、ジョイスの最初の作品も在学中に書かれたものです。
1903年にUCDを卒業したジョイスは数ヶ月パリに滞在したもののダブリンへ戻りますが、酒に浸り浪費癖も激しく、書評を書いたり教師をしたりしてなんとか生活していたとのこと。ジョイスの作品として有名な「ユリシーズ(Ulysses)」にはこの頃に出会い後に結婚するノラとの1日が書かれています。
その後ノラと共にオーストリアへ移ったジョイスは、執筆活動もしながら主に英語教師として生計を立てていました。浪費癖は相変わらずだったようですが、昼間は英語学校、夜は高等学校と周りの力も借りながらなんとか生活をしていたようです。
第一次世界大戦が起こったことでジョイスはスイスに移住しますが、そこで出会った出版社のハリエット・ショー・ウィーヴァーがジョイスの執筆活動に大きな影響を与えることになります。出版においては素人だった彼女がなんとかユリシーズの出版にこぎつけ、その後25年間に渡って執筆活動に専念するための数千ポンドを融資し続けたとのこと。
代表的な作品
- 『ユリシーズ』(現代:Ulysses)
- 『若き芸術家の肖像』(原題:A Portrait of the Artist as a Young Man)
- 『フィネガンズ・ウェイク』(原題:Finnegans Wake)
まとめ
このページではアイルランド出身の文学者数名をご紹介しましたが、聞いたことのある名前はあったでしょうか。有名な文学者の多いアイルランドですので、留学中に名前を耳にすることもあるかもしれません。そのときのためにも、留学前に少し文学について知ってみてくださいね。