テンプルバーの歴史
テンプルバーという名前はテンプル騎士団(Knights Templars)の子孫であるウィリアム・テンプルの名前からつけられました。統監の秘書としての仕事のために1599年にイギリスからダブリンへ渡った彼は、トリニティカレッジの4代目学長となり現在のテンプルバーに家と庭を構えていたと言われています。
その後1707年、輸出入に関する書類手続きが行われる税関がテンプルバーに移されました。それもあり一時は酒屋や問屋なども多くテンプルバーに集まったものの、1791年頃税関がリフィー川北の大きな建物に移動したことからテンプルバーは勢いを失っていきます。
1960年代、ダブリン中心部では近代化の流れの中で歴史的建物が取り壊されていきましたが、衰退したテンプルバーはひどく荒れており手を付けられないままスラム街となっていきました。
1970年代にアイルランド国営のバス会社が、ショッピングセンターを併設した大きなバスターミナルの建設を目指しテンプルバーのエリアに残っていた建物を買い取りました。しかし建設計画が遅れたことから建物を貸し出したところ、芸術家たちが多くの建物を借りたことでテンプルバーは文化的区域へと変わっていきます。現在もパブが並ぶ中にアートギャラリーがあったりしますが、この名残ということですね。
これをきっかけにテンプルバーが栄えてきたことで地価が上がり、芸術家によって借りられていた建物は飲食店が借りるようになりそれが現在のテンプルバーの姿に繋がっています。